自分で自分の行動、狭めてしまったから?
歯の問題から、いろいろ調子が崩れて
精神的にもおかしくなってきた。
まだ自分でおかしいと思えるから、救いがあるようには思えるが。
将来の見通し
友人との関係
日々の暮らし
最後に片付け
みーんな 面倒くさくなってしまった。
今、ボランティアも相手の都合で休んでいる。これも休みでありがたいのだが、
張り合いのない生活になっている事は確かだ。
まだ家に引き込む年ではないけれど、これが歩けなくなってきたり、食べられなくなってきたり、そもそも気力がなくなって来たら、みんーな、終わって、ただソファに座って外を眺めているだけ。
そして 友達もうるさい事を言う人はシャットアウトしてしまって、誰とも喋らない。
Gさんは元々、無口だから好きなTV見たり、音楽聴いたりして、自分なりに楽しんでいるし、きっとそれを続けることができるみたいだ。私みたいにあれこれ不満を持っていても、そう簡単にはださないようだし。
友人は海外や国内旅行の資料は出かけられなくなったときように、取ってあると言う。私は思い切り捨ててしまった。
行程表と写真だけあれば、今はネットでどんな所だったかが、思い出せるものね。そう思ったからだけど、失敗⁈
人は息をして生活している時が全てなんだなと、このごろ感じる。
食べることも、着飾ることも、いきて生活しているから、それが楽しみだったり、悩みだったりするんだね。
私みたいに 死 を意識してしまったら、何も楽しみはなくなる。
どうせ、自分がいなくなったら全て捨てられて、忘れられてしまうんだもの。
何かの折に、あー、buburinばあさんはあのお菓子、好きだったね くらいしか思い出して貰えないんじゃないか?
なんて思うと、もう全て捨ててもいいか、と思ってしまう。
歯の治療も、もう何でもいいやって思ったり。
今、歩ける。今、 食べられる。
今、やりたいと思うことをしなかったら、いつやるの?
今までやって来たことで、満足する?
それでまだ体力も残っているのに、ソファに座って、ブログ巡りして、ネット見て。それで私の一生、終わるの?
ふうーん、お金もかからないわね、どこにも行かなければ。
たまにGさんと温泉? 家族と外食。
そんな生活、出来るかな?
疲れた生き方なんてしていないのに、何となく、イヤになっちゃったなぁ。
本当はまだまだやる気を出せば頑張れるのに、頑張りたくない。
何にもないから、しあわせ なんだよね。きっと。
死 だって自分は差し迫っていないし。
死 そのこと自体だって理解出来ているのか、分からない。
自分がいなくなったあとの世界。
どんな感じなのかなぁ。
それが分かれば、そんなに苦労はないよね。
生協の宅配してくれるお兄さん、先週、ちょっと、なかなか手に入らないお菓子を差し上げたら、今週、会ってすぐ、噂に聞いてだけど、本当美味しかったね!
と、言ってくれた。
そんなふうに言える若いお兄さん、
元気溌剌 しあわせ そうだった。
私もすごく嬉しくて、また買ったらあげるねって、言ったけど、こう言う日常生活が毎日ある訳ではなし、お出かけイベントだってたまにあるだけ。
私の生活、生き方、一体何なんだろうねー