ぐちぐち なんでも言っちゃうよ〜

私のほんとうの気持ち

死ぬこと 生きること

以前、私はパッチワークでご一緒したAさんに、自分は死ぬって言う事は、考えられないわ、と、そんな話しをした事がある。Aさんは、自分自身でそう言う経験をしたことがないからじゃない?と言った。Aさんが仰るには、自分は死に関わるような大病をして、死を嫌でも意識したと言う。まだ何回しか会った事がないからかも知れないが、そんなことがあったなんて、全く知らず、本当に失礼な言葉をAさんに投げかけたものだと、その時、驚きと申し訳なさで返す言葉がなかった。

Aさんは今は元気に活動に参加できるようになって良かったと言う。病名は聞いたようだが覚えていない、ただ命の危険があり、死 に対して真剣に向き合ったと言っていた。何故 そんな話になったのか、多分、今、話題の断捨離やら終活の話からだと思う。

Aさんは素敵な帯で手提げ鞄を作っていた。その素敵さを皆で誉めた後の話だ。

帯や着物など、タンスの肥やしにせず、何か別物に作りかえた方が良いわね、でもなかなか思いきれないわと誰かが言った。今あるものを少しずつ処分して生かして行く事、だから帯を切ることが出来たと言う。

私は思い出のある洋服や着物、帯を切って 手提げ袋やパッチワークで何かを作ろうなんて気持ちにならない。

Gさんに初めてダウンベストを買って上げた時、私のボーナスがなくなってしまうのではないかと、思うくらい値段が高かった。まだ最近まで着ていたから、充分、着尽くした。スキーをやる時にダウンジャケットは着るが、まだその頃はダウンベストを普段着として着るには、お洒落な感じで高価だった。ダウンベストが流行り始めた頃だ。Gさんは若い頃、お金がないといつも言っていて、食事の支払いはいつも私。女の人のヒモになるのが夢とか言っていた。私も奢るのが好きだったから、ヒモにしてあげると冗談で話したりして、楽しかった。そんな時に買った思い出のベスト、随分長く着た。クリーニングに出しても、ダウンが減らなかったし、やはり高価なだけはあると思った。だが、さすがに襟が少しほころびて来て着られなくなって来た。捨てようか、そう思いながら若い時の思い出もあるしケチだから決断できない。

思い出のあるいろいろな布と合わせて、パッチワークにして、残そうかと思ったが、私はパッチワークが好きではないことに最近、気がついてしまった。

だからと言って捨てたくない。

ベストを見ればいろいろ若かりし頃の私達を思い出して、涙が出てくる。

でもまだGさん、バリバリに元気にしていて、うるさい事、あれこれ言って、もちろん一緒に生活しているのにである。


話を戻すと、Aさんは、死を意識して考え方が変わったのだと言う。その話をもっと詳しく聞きたいと思ったが、コロナ禍になりそのサークルは閉じてしまった。連絡先を教えて貰うほどの仲の良い方ではなかった。元気でいらっしゃるだろうか、と時々思い出す。

私はAさんが死を意識しながら生活していること、その時の思いや気持ちを話してくださるか分からないが、聞いて見たかった。自分はあちこちグズグズしながらも、命に関わる病気をした事がない。だから、Aさんの病気した時の切羽詰まった思い、そして失礼をお詫びしたかった。Aさんも時間があればお話しても良いという雰囲気があった。もし、その病気に触れられたくなかったら、きっと黙って、何も仰らなかっだろう。それとも、余りにもお気楽な無神経な私の言葉に、引っかかるものがあったから、その話をしたのだろうか。

私はその時から、死  を意識するようになった。彼女の話が私にとっては、ショックだったからだ。

「貴女は 死を感じた経験、体験がないから、死ぬ事が考えられないと思うのよ。 人はいつかは死ぬのよ」

彼女がはっきりそう言ったのではない。


でもそう意味だった。


私は今  特に自分が 死  を意識して生活しているから、余計に彼女の言葉を思い出す。


現実には 元気な私なのだから、楽しくイキイキとした生活をして行こうと考えるべきである。

でも、今、片付けをしているのも、スッキリした生活をしたい訳だからではない。残された人の負担を少しでも軽くしたい。そう思っているからだ。


Aさんは今、どんな思いで生活していらっしゃるのだろうか。

サークルが閉じてしまったから、お会いする事は出来ない。


私に 死  生  感 を考えさせてくださった方、私なりに自分で考えて行かなければならないのだろう。


私は今  表向きには明るく笑って過ごしているけれど、心の中は不安でいっぱい。誰にも話せない、暗い闇のなかにいる。