さくら さくら さくらを観ながら
編物の手を休めて見上げると、大きな窓越しに満開のソメイヨシノが見えて、私はもの悲しく、そしてこの光景を眼にすることの出来る幸せ。
この桜をいつまで見られるのかと思わず、ため息が出る。
健康そのものの私は一体、何歳まで生き長らえるのか想像できない。
両親からの遺伝?体質が似ていて、胃腸が弱く、痩せている。もう痩せているというだけで長寿だと一般には思われる。
父は呼吸系が弱くて65歳で、母は脳梗塞を発症して80歳で旅立った。
母は、私は80歳でこの世からさよならするとずっと言っていた。その理由は母のお母さん、私には祖母になる人が、80歳でこの世を去ったので、自分もそうするのだと言っていた。
母の妹も何故か80歳でこの世をさよならした。
私には年の離れた姉がいる、姉はそろそろ80歳になると思うが、一言もそんなことは言わない。
母の80歳のこだわりを姉は知らない。末っ子の私は母にいろいろな話を聞いていたから、そんなに上手く自分の思う通りに行くのかしら?と思ったが、まさかの脳梗塞になり1年半の入院生活であの世に旅立った。
叔母が80歳にこだわっていたか知らないが、偶然にも同じ年齢であの世に旅立った。
私も80歳くらいが良いかなと思っていたが、今思うに80歳は若い気がする。
母が旅立った時はかなり年齢が高いと私自身は思っていたが、同じ誕生年の義母は98歳で大往生だった。
友人達から喪中葉書をいただいて驚くのは、皆さんのご両親様達は95歳以上で旅立たれている方が多い。
母は早死だったんだ、そして早くから人生に見切りをつけていたんだね。
几帳面でバカがつくほどに義理堅く、心配症で、芯の強い女性だった。
お洒落だったせいか、私達子どもの洋服を洋裁店で誂えてくれたり、着物やセーターも外注していたから仮縫いなどに行っていた。
今、 思えば贅沢だったよね。自営業で忙しく、子どもの洋服など縫ったりできなかったということもあるが、今度はどんなワンピースが良いか?などと聞かれて、あの歌手と同じ形、なんてただただ憧れを口にして、実際、そんなワンピースが出来上がると気恥ずかしくて、やっぱりやめれば良かったなんて思ったが、そんなことは言えないから、可愛い!とか言って喜んではみた。
母にありがとう、父にありがとうと言わなければならない場面はたくさんあったのに、言わずに終わってしまった。
親不孝な私だよね。
今、温泉に来ている。
父は若い時から身体が弱かったが、人を使って仕事をしていた。
段々と年齢が上がり外出を余りしなくなった頃、若い時に湯治に行っていた温泉に行きたいと言った。
私はそんな身体で無理だよと素気無く断った。
父がどこかへ行きたいなんて言う事は滅多にないことだったのに、私は父の身体が心配な余りダメだよと言ってしまった。
今、思えば、父の願いを叶えてあげれば良かったと心から申し訳なく思う。
父の身体のことなんて心配しなくて良かったんだよ。
昔、行った温泉に行きたい、今なら行かれると思っただろうに、私は自分の考えで断ってしまった。
どんなに無念だったろう、行きたかっただろう。
私達夫婦と孫とだったら、行かれる。
もしかしたら母も一緒に。
普段、無口で頑固一徹の父の願いをいとも簡単に却下。
今なら、行こう!と言える。
体調が悪くなったら、その時はその時と割り切れるのに、私は若かった。
本当に申し訳ない。
お金を出すから、皆で美味しい食事会をしたらと言う提案も却下してしまった。
父は行かれなくても、私達子ども夫婦や孫たちに喜んで欲しかったんだね 。
それも良いよーと断ってしまった。
父に負担をかけたくない、そんな思いだった。父の気持ちを汲み取れなかった。
大雑把な姉に言えば、行こうと言う事になったのにと今頃思う。
私は父にいろいろして貰うことに、申し訳ないと思っていたんだよね。
姉のように、10万20万の額ではないもっと高額なお小遣いをねだることなど
一切しなかったし、する気もなかった。
だから、父に出させるなんてとんでもないと思っていた。
今、自分が親になり、子ども達との旅行や食事会に行ったときの会計は私達が当然、出しているがそれが当たり前で嬉しくもある。
私はその楽しみを父から奪ってしまっていた。ただ申し訳ないと思う…自分の気持ちを優先することで。
今、ホテル別館の部屋から、露天風呂から桜を眺めながら、父と母に詫びている。
私は今、命に関わる病気がないから、人生、永らえてしまうかもしれない、だから、ずっとずっとこの桜を観ることが出来るかも知れない。
でもこんなふうに考えていても、いつか自分の人生が終わるときが来る。
それがいつか分からないけれど。
どんなふうに終わるかもわからない、見えない。
最近、分かったことは、死に向かって生きているんだと言うこと。
だから、好きなことをして好きなものを食べて好きな人と付き合う。
認知症になったら、そんなことも全て忘れて、ただその日が来るのを自覚すらせずに、看護師さんやヘルパーさんにお世話になりながら人生を終える。
自分の未来は分からない。
不安だ。
母のようにキッパリ何歳でこの世とお別れと言い切れない歯がゆい自分がいる。
いつ、あの世に行く事になっても、後悔しないよう、生きるしかないんだね。
さあ、今日のホテルの夕食、何かなぁ。
あと3泊、完全におデブさんになって帰るようだね。
そうそう、Gさん、ありがとう。
Gさんが染井くん(ソメイヨシノのこと)を観に温泉に行こうと言ってくれたから今、ここでのんびり桜を観て、編物しているんだった。
私と関わりのあった全ての人に感謝しながら、染井くんを堪能しよう。
ありがとう 。