言い訳は出来ない、だから…
友人のご主人は市議会議員だ。
だが次回は所属の会派には年齢的な決まりがあって、出馬しないと聞いていた。
本人はやる気があっても、もう無理なんじゃないかと言う話だった。
その話を聞いてから4年、そしてコロナ禍になり、小さなお孫さんがいるため、会うことがためらわれると言うことから、LINEをたまにするだけになり、会いたいねと言いながら、ここ2年くらい
すっかりご無沙汰になってしまった。
市議選が終わったあと、新聞をみていたGさんから、友人の名前を聞かれた。
当選しているよと言う。
出馬できないと言っていたけど、出馬したんだね。
住んでいる市が違うから情報は入って来なかったし、直接、聞くことはしなかった。
人のせいにする訳ではないが、
Gさんと市議選の話になって、今年、友人のご主人、出馬しているかな、聞いてみようかな、もし出ているなら応援メッセージ送らなければと言ったら、そんな事、くだらない、どうだっていい。何か関係あるの?
と、それこそ訳の分からない返事をされて、もし、出馬していなかったら、わざわざ聞くのも失礼になるかも知れない、聞くことは悪い事なのかも知れない、
そう思わされてしまった。
それでも選挙戦が賑やかに繰り広げられている市内の様子に、友人はどうなのかな?聞いてみようか、いや、やめた方が良いと、何故か今回はためらわれて連絡しなかった。
Gさんから言われた言葉が、心に引っかかっていたせいもある。
それと、友人に応援メッセージを送った時、喜んでくれるけれど、何故か他人事のようでさめた返事が来る事にも違和感を感じていたから、余計、いいや、連絡しても、冷めた返事しか来ないんだから、なんてそんな気持ちになっていた。
Gさんから当選している、と聞いて、
悪かったな、やはり聞いてみるべきだったなと嫌な気持ちが心に広がって、一言、Gさんが変な事を言うから友人に聞かなかったじゃないの!と、せめたい気になったが、またまたケンカになるかも知れないので言わないでいた。
友人におめでとう!と、言いたい。
でも今更?おめでとうって言われた友人は、喜んでくれるのだろうか。
まさか、出馬しているかどうか、分からなくて、新聞で見て分かったなんて、言って良いものか。
このままずっと知らんぷりをしていたら、そのまま、友人からも何の連絡もなく時が過ぎていってしまうのだろうな。
いつの間にか、疎遠になってしまった友人。
人の在り方、生き方、自分たちのこれからの人生をどのように生くべきか、人のあり様や読書しながら、お互いの考えを交わし、喫茶店で飽きることなく会話をし続けた、まだ若かった10代、20代。
そんななか友人はある宗教に入信し、私は勧められたが入らなかった。
ある意味、宗教に一切をお預けし、おすがりする事は楽な事だと思った。
自分も生きる指針となる確固とした何かがあれば、それが宗教であっても、それはそれで良いかも知れないと思ったが、自分の生き方を宗教に委ねたくなかった。友人から何回か誘われてその宗教の会に参加したが、どうも肌に馴染まなかった。友人に理由を話すとその後、誘いはなくなった。
友人は宗教を通じて知り合った人と結婚した、私もサークルで出会った人と結婚し子供が生まれ、段々と会う回数が減り、いつしか電話でたまに話をする。それも大体、私からの電話。
殆ど電話もしなくなった。
数十年が経ち、子供も巣立ち、また、いろいろ話をしたいな、会いたいなと電話をしたら、そうだね、会おうということになった。
若い頃のような会話は弾まない、生き方がお互いに違っている。
それでも昔話や子供の話、興味ある趣味などの話をして再び交流は始まった。
そんな友人からご主人の出馬の話を聞いた、私には知り合いもいない市に住む友人の地域、ただ応援メッセージを送るだけだったが喜んでくれた。
そして、今回3期目、もう出馬はなしと聞いていた。
友人からは多分、この先、連絡はないだろう。
忙しさももちろんある。
だが、もう考え方が違っていて、昔の友人であると言うだけのことで、今、お互いに話をしても共感できる部分が少なくなってしまった。
本当は おめでとう、よかったね!
ごめんね、出馬していたことを知らなくて。
新聞を見て分かったの、大変だったね。
お疲れ様! ご主人にもよろしくね。
そう言いたい。
でも何故か、素直に言えない自分がいる。
それはおめでとう と言ったときに、喜んでくれる友人の、さめた別の雰囲気を感じてしまったから。
何故だろう、そのさめた感触は。
だから、ためらわれる。
連絡しようか、やめようかかと考えながら、いつしか時が過ぎ、淡々とした友情に変わって行くのかな。
もう遥か昔から、友人との関係は変わっていたのだから、今更かなとも思うけど…