ぐちぐち なんでも言っちゃうよ〜

私のほんとうの気持ち

不安な日々、不安な老後

今まで考えて来たことはすべて、何だったんだろう。

何だか空しい。


真夏の猛暑日、むせ返る外はとてもじゃないが身が持たないので、クーラーかけて編物にずっと精だしている。

夏糸整理のために夏帽子を幾つ編んだろうか?

自分のためには今夏、3種類の夏用帽子をかぎ針で編んだ。

その中のクローシュ型の帽子が友人から

可愛い、素敵! 被させてと鏡を見て欲しい気満々、でも欲しいとは言わない。

うーん、察しの良い私、編んであげようかと素人で下手なのにおこがましくも提案してしまった。


夏糸を買わなくても家にあるので、整理も兼ねて帽子の型と色合いの違う物を友人2人に編んだ。


本当は1人ではこなし切れないほどある

冬毛糸(将来⁈、編もうと買いだめした)を減らすために編んであげたいと思っていたのだが、友人に会う時、夏帽子を被って行ったのが目に入ったらしい。


冬毛糸で別のものを編むつもりだったから冬まで待ってねと言ったのだが、夏真っ盛りなのに冬の帽子を編んであげる訳にもいかないような気がしてきて、夏糸でクローシュ型とバケット型を編んで差し上げたら、もう出来たの?と喜んでもらえた。


それで次に冬毛糸で自分用の帽子を編んで見た、今度は棒針だし、久しぶりの縄編みだから、人に差し上げるにはまずは自分用に作って見ないと様子が分からない。これが素人の情けなさ。


本で指定されている毛糸、編み針で編まずに自分の持っている毛糸で編む。

そのためにはまず1つ編んで出来具合を見て、問題がないようだったら友人のものを編むことになる。


編物をしていて思ったことがある。

自分は今は友人が欲しいと言ってくれたから編んでいるけれど、外出できない年齢になった時、はたしてその時は何をしているのだろう。


パッチワークキルトを少し習ってみたけれど、布をはぎ合わせる作業は嫌いではないが、出来上がった作品がどうもダサい。

色合いといい、形といい、自分の中で

素敵と思えない。

残り布で作っているので、合うようで合わなかったりする。センスの問題だと思うが、チグハグでお世辞にも素敵とは言えないし、垢抜けていない。

改めて布を買ってまでの意欲はない、

また買って捨てることもあり得そうで

もったいない気がする。(始めは思い出の布でと思ったが、なかなか思うようには出来なさそう)

結局、習いに行っていたパッチワークキルトは自分には向いていない気がして

コロナ禍を良い事にやめてしまった


ハワイアンキルトはお土産にいただいたが、素敵だなと思った、作れたら良いなと思ったが、今更、ハワイアンキルトを習いに行く気のも気が進まない。

バス、電車に乗って、それで長続きしなかったらと思うと、またまた無駄遣いになってしまいそうだ。

刺繍も自己流だったので良いところがあればと見つけたが、これもコロナ禍で習いに行く時期を逸してしまった。


プリザーブドフラワー  これも習ったが

その時は楽しく、また作ろうと意欲的だったが、どこかに所属して継続的にやらないと忘れるし、上達しない。

しばらくしていなかったが、またぼちぼち始めることにした。

友人がプリザーブドフラワーをやりたいと言うので、お遊び程度になってしまうが我が家でやろうと言う話になった。

夏はお孫さんが来るので忙しいらしく、秋になってからである。

これも継続的にやるには材料費が非常に高いので、続けられるかは分からない。

それにそれだけの情熱が持続できるのか自信がない。


それで残ったのが編物、それも帽子などの小物、すぐ出来あがるから飽きずに出来る。

だがこれもいつまでやれるのか分からない。

本で指定された毛糸では編む訳ではないから、試行錯誤、自分で決めるので苦労する。

本の図を参考に、自分の持っている毛糸で図の出来上がりに近いものになるよう手探りでやっているので、編み始める前の準備に時間がかかり、頭も使う。

今は気力もあり、人に貰っていただけると言う喜びがある。

でも、外出がままならなくなって来た時、はたしてその気力があるのだろうか。


その時、自分は何をすれば良いのだろう。本を読むことは億劫になって来た。

TVドラマも面白いと思わない。

料理も嫌い。

友人達とのランチ、お茶。

話は老後の暮らし方、生計のこと。孫のこと、Gさんのこと。


英語や韓国語、絵や習字を習っている友人達。

竪琴を始めたと言う人もいる。


私は習い事はもう、したくない。

宿題がイヤ。予習復習がイヤ。

毎週 通うのがイヤ。


気の合わない友人とも少しずつ疎遠にして来てしまった罰もある?


今は、ちょっと時々むかつくGさんとの暮らしと編物に精だしているが、この編物熱が冷めたら?


また家の片付け?

それこそ、死に向かって綺麗に身辺整理?


そして時々、低山歩き、それもいつまで出来る?

何だか、寂しい老後。


旅行だ、山だ、ランチだのお出かけがなくなり、家でやりたい事も今後見つからなかったら、何?自分はどうやって毎日を過ごせば良いの。


90才を超えたおばさまが、もうお迎えが来て欲しいと嘆くその言葉は将来の私の言葉だ。


私が今、唯一 やっているサークル活動、これもコロナ禍で個人対応になったから続けているが、集団行動になったら

続けられる自信がない。


何だか行き詰まっているよね。


明日は1泊2日の友人との山旅、

楽しみだ。

今はそれなりに楽しみもある。



必ず訪れる高齢者生活、考えたくないけれど、楽しいと思える日が来るとは予想できない。


老人性ウツ?

違う違う、タダのぼやき。


未来が見えないだけに不安なんだよね?


今をしっかり見つめていないから、

今、何の心配もなくダラダラと暮らしていて、この幸せがずっと続いていくことへの保証がないから、不安、不安なんだね。


何とかしなくちゃね。




くだらないぐちを読んでいただき

ありがとうございました