ぐちぐち なんでも言っちゃうよ〜

私のほんとうの気持ち

Gさんの考え方 理解できないけど⁈

Gさんの友人のお母様が亡くられたと言う、お歳は100歳。

お元気でお過ごしだと聞いていたが、晩年は入院されていたとのことだった。

ご本人の生命力もさることながら、ご友人とご友人の奥様の介護があってこその100歳。友人ご夫妻にもお疲れ様でしたと心からお悔やみ申し上げたい。


Gさんがお線香をあげに友人宅へ伺うと言う。いつが良いだろうかと聞かれたので、近しい親族ではないので49日が過ぎてからでも失礼にはならないのではと

答えたが本当はそれを聞いて内心驚いた。


亡くなられた方を敬いご焼香に伺うことは良いことだと思うし、何の異論もない。


ただ、Gさんの言っている事とやっている事がチグハグだと思いあたる事柄があり、その話をGさんにすれば怒り出すのは目に見えているから、何も言わないで黙っていた…


その話と言うのは

数年前、義母が亡くなった時、Gさんは葬儀に来て欲しいと親戚の方々に声をかけず、義母の妹が2人いるのだがその人達にも声をかけなかった。


葬儀場が混んでいたようで、4日間くらい自宅でお守りをしていたその時に、親戚の方やご近所の方、義母の妹(おばさま達)が見えて、お線香を上げてくださった。

葬儀社の方も毎日、丁寧に手当てをしてくださり、とてもありがたかった。


その前年に私の兄の奥さん(私には義姉)が早々とあの世に旅立った時、知り合いでもあり、大変お世話になった葬儀社にお願いした。 

葬儀社の方が、こんなにも早く、私達にまたお目にかかることになるとは…と、心に響く温かいお言葉をいただき、優しいお心遣いにとても気持ちが和み、ありがたく感じた。


葬儀社の方は、Gさんの意向に沿った

丁寧な対応をしてくださり、今では

当たり前になった家族葬で行うこと

になった。

義母の子供、孫、ひ孫だけのお葬式。

おばさまや親戚の方は何故、最期のお別れに呼んでくれないのかと不満が上がっていたが、Gさんは自宅に来てお別れをして欲しいの一点張りだった。


Gさん曰く、おばあさん(Gさんの母)が

立派な葬儀はしなくて良い、内輪での簡単な葬儀で良いと言っていた、だからおばあさんの言う通りにすると言う。

うーん?  義母は派手好きだし、たくさんの方に見送ってほしいと思っていたのでは?と思ったが違ったんだね。


義母の妹であるおばさま達や親戚の方々を呼ばない?のは、義母にとっては不本意ではないのか?

せめて義母の妹くらいと思ったが余計な口出しをすると怒って、葬儀はやらないなんて言い出されても困るから黙っていたが、幸い4日間と言う時間があったので、Gさんの妹と、呼んであげれば良いのにと何度も話をしていたら、気持ちが動いたのか義母の妹である、おばさま達だけは葬儀にいらしていただくことになった。

結果、49日や一周忌などにもおばさまたちにいらしていただき、Gさんの妹と一緒に胸を撫でおろした。


Gさんは義母が言っていた事を守ったかもしれないが、多分に自分の考えも通したと思われる。

何故かと言うと、親戚やご近所、今まで義母と関わりがあった方達に葬儀に来ていただくと、義理がかかると何度も言っていた。

うーん、義理がかかる⁈

義母の葬儀に来てもらったら、今度は親戚や義母の妹、ご近所さんやお世話になった方達が亡くなった時に行かなければならない。

自分(Gさんと私)達がいなくなったら、それは自分の子供たちに引き継がれ、子供たちの負担になる。

義理のやり取り、しがらみ。

お互い、良く知らない人同士の付き合い、そして香典と名がついたお金もかかってくる。それらは不要だと言う。


そしてGさんは言う。

自分の時は、戒名もいらない、院 だの居士など、仏の世界に上下があるなど

おかしい。

戒名の値段が桁外れに違うなど坊主(失礼)が儲けている、

自分は葬儀もしなくて良い、

直葬で良いと言う。


そうね、と私や子供たちは頷く。


Gさんの考え、気持ちは分かった。

だがあとの事は生きているものが考えるからと私と子供たちは、内心、意見が一致している。


また香典返しについても2割くらい返せば良いと言う。

半分も返すなんて馬鹿げている。

葬儀をやるとお金がかかる。

家はたまたま葬儀のあとに暮らしに困る事はないが、大黒柱を失って葬儀の後に暮らしが成り立たない家だってあるんだと言う。

確かにそう言う事もあり、間違ってはいない。


葬儀はGさんの考えを優先したが、香典返しはGさんの妹と私の考え方でさせて貰うと言った、半返しするのかと言うのでそうだと答える。


全く意味のないことだとGさんは怒っていたが、Gさんの妹の立場もある、

これは譲らなかった。


Gさんは自分の母の葬儀は自分の思う通りに行った。

親戚やご近所さんや義母に関係する方々から、新しいやり方なんだね、それも良いかもと言われて、まんざらでもないようだった。コロナ禍前のことである。


けれども、皆様にいらしていただく

ごく普通の葬儀を行えば、気持ちのある方はいらしてくださるから、その日、一日で終わるが、親戚さえも断っての葬儀。

義母の亡くなった事を知らない方は、

後からお線香をあげにいらしてくださった。


葬儀を行うからと、皆様にお知らせすれば大体はその日にいらしていただける。

そしてあの世に旅立つ義母を、親族や関わりのあった方たち、皆で送る事が出来たのにと思う、後からありがたいことにお焼香に来てくださる方がいたにしても、である。


Gさんの友人達は義母の焼香には来なかった、私にとっては当然だと思うし、Gさんも来て欲しいと思ってはいないはずだ。

そんなに深いお付き合いはしていないし、もしかしてGさんと同じ考えかも知れない。

それなのに別の友人と、友人のお母様にお線香をあげに伺うと言う。


何故?

Gさんの母が亡くなった時に来ていただいていないのに、こちらからは伺う。

義理が発生するのではないの?


義母の妹や親戚の方々は断ったのに、

自分は友人のお母様のお焼香に伺う。


うーん

辻褄が合わない、別の友人から誘われたから?かもしれないが、何故?


自分の家の時は親戚さえも断固として断り、誰の意見も聞かなかったあの強い意志と考えは何だったの?

葬儀費用がかかるからとかそう言うことではなかった。


この話をすれば、Gさんにとって不都合だから余計なことを言う、行かなければ良いんだろう、なんて言われかねないので黙っているが、考えは一貫して守って欲しいな。


義母の大事な葬儀、気持ちよく皆で送りたかった。


新しいやり方、これからは家族葬が良いわね、と賛同してくださる方がいて、

そうかなぁと思ったが、簡単でも質素でも良いから関わりのあった方に来ていただく葬儀の方が自然ではないかと思うが、どうなのだろうか。


葬儀の在り方の話になってしまったが、


Gさん

友人のお母様のお焼香に行くのは良いことだから何も言わないけれど、

もう少し、私が理解できる考え方を

して欲しい。


それとも、私の知らない  何か が

あるのかしら。

行く必要性のある 何かが。


何だか私には良く分からない。