明日からお出かけだと言うのに
旅の支度は2日前に終わっている。
だから今日は取り立てて準備することがないから、近くの低山に足慣らしに行ってきた。
旅とは言っても山旅だから、少しでも
歩いておけば自信につながるし、足のためにも訓練になって良いと思うから、
行ったのだけど。
帰って来てから、シャワーを浴びて洗濯して、昼寝。のんきだね。
Gさんが町内に配布するプリントを持ってきて、回覧板で回さなければと言っている。
暑いから夕方行こうと思ったが、すぐに配りたい様子で、自分で行くからとGさんが言い出すので、仕方なく回覧板を持ってご近所へ行く事に。
何故、夕方まで待てないのかな?
年のせいで気短になった?
それとも病気のせい?
どちらにしても、若い頃のGさんではない、すぐ怒り出すし。
明日、私は出かける都合があるから、
私としてもやるべきことは早めに済ませたい。
着替えて、暑さ堪えて出かけて来た。
明日から山か、
友人達と一緒にわいわい?楽しく登る山、高山植物もたくさん見られるだろうし、肝心の天気も雨ではなく曇り。
晴れて暑いより、今年は曇りくらいが丁度良いかも。
時々、晴れ間がのぞいたりすれば
サイコーだよ。
計画したり、準備したり。
その時はとても嬉しくて楽しみなんだけど、その日が近づくにつれ、何となく
心が澱んできて面倒くさくなってしまう。
かと言って、何の予定もなかったら
つまんない病が始まってしまう。
私の悪い癖?だよね。
先程もウトウトしながら、ボォーと考えていた。
2025年 65歳以上の人の5人に1人は認知症になるとか。
私は認知症にはならないと思っていたけれど、最近ちょっと心配になってきた。
お出かけは認知症にならないためには、良いらしい。私はお出かけはするけれど、面倒くさいと感じる。
最近、YouTubeにハマって可愛いわんこや猫ちゃんの動画、はたまた認知症にならないための食事、寝たきりにならないための運動方法など見て、一応、一度はお試しでやってみる。
でも長続きしない。
本も読みたくない、親しかった友人とも
考え方が合わなくなって、お喋りしたいと思わない。
家でゴロゴロダラダラ、自分1人で過ごすことが苦痛ではなくなって来た。
困ったことだよね、これは認知症の予備軍ではないかと誰にも言わないけれど、密かに心配している。
明日は山旅だから、行けば楽しく過ごしてくるし、頑張って山頂にも行くつもり。
なが〜い目で見た私の老後(もうとっくに老後は始まっている)の先行きが見えなくて、不安なんだよね。
着られる洋服やアクセサリーやバッグを処分しなければならない、断捨離のTVに出てくる方々はよくも思い切って捨てられるなぁと感心する。
私はきっとまだまだ生きていたいのだよ。
死についてあれこれ思い巡らせてみても、私はまだまだ生に対する気持ちが
強くて生きることに執着しているんだよね。
だから、捨てられない。
誰かに使って欲しい、でも捨てなければならない。
トルコで買って来た飾り額に入っている織物(絨毯)どうするの?
ちょっと高価だったよね、よく買ったと
今なら思う。
私がいなくなったら捨てられてしまう、
その前に何とかしなくては。
そんなことを考えていたら、何もかも面倒になって、鬱病的?ではと心配になる。
旅行どころではない。
もう
明日、早いのだから寝なければと
思いながら寝られない。
全て私の周りで起こっている事は現実の
世界。
くだらないことをぐだぐだと書いてしまった。
読んでくださりありがとうございます。
解決しない問題、また旅行から帰ってきたら考えよう。
明日から3日間、楽しまなければ!
美味しいものを食べて、温泉入って、
山頂目指して頑張ろう!
初めて行く友人のためにも。