ぐちぐち なんでも言っちゃうよ〜

私のほんとうの気持ち

生きているって不思議だな

今まで 毎日 生きていることが当たり前で  生きていると言うことに何の疑問も持たない、夜、寝て、朝、目覚めたら起きる。当然のことだと思っていたから、生きている、そのこと自体が不思議で仕方ない。

まさかそんなことを思うなんて。


何故だろう


いつとは分からない その日に向かって

片付けをしているから?

毎日、暑くてボォーと寝てばかりいて

認知症になるんではないかと恐れているから?


分からないけれど、私にとって

終活はやっぱり 生きる意欲をなくすような気がする。

友人は終活ノートをつけ終わった、

何の心配もないのよ〜と言っていた

それが自慢げに思えたのは

私の僻みかしら。


私はずっとずっと100歳以上生きると思って生活してきたけれど、片付けのあれこれを考えていたら、今、生きている

その事が何なのか、分からなくなってきてしまった。


リサイクルショップで売れないものは捨てる。

着物や洋服、掛け軸、絵、新しい食器

売れそうなものは売る。

今 飾ってあるものもいずれ。


私自身の写真

これも捨てる?


結婚してからの家族写真、これはさすがに捨てられてない。でもいつかは捨てなければならない。

旅行や山の写真は?


今まで行きたかった場所、買いたくて

買った品物たち。

それらが色褪せて見える。


海外や山に行けば必ず体調を崩した、

それでも行きたくて家族やGさんと

または1人で出かけた。


その時は楽しかった、嬉しかった。

でも今、何故かそれらが 私のなかで

最良の思い出として残っていない。

日が経てば、気持ちが変わって良かったと思うこともあるかもしれないが、

今は何も思わない。


生きる  生きている


一体  生きるって何なんだろう。


自分のまわりをスッキリさせて身軽に

なって、いつでも 逝かれる。


好きなことをしていた頃は、今日、この世から自分がいなくなっても後悔はないと思っていた。

今はそう思えない。

自分のまわりを片付けてからでないと、残された人に迷惑をかける。


そう思うと、自分の身の回りのものを

片付けなければならない。

何が大事?


それを考えると、身一つであの世?にいくなら何もいらない。


ではみーんな 捨てて良い。


私自身だけが残る。


では今まで欲しかった物たち、全て

存在感がなくなる。


私のしてきたすべてが要らない。


私は何のために 自分の欲望を満たしてきたのだろう。 


今までおこなってきた 全て

自分のしてきたことの価値が見出せない。


生きる

生きている


分からなくなってしまった。


自分にとっての 形あるもの  思い出 

何で今まで 夢中?で取り組んできたのか。


全て捨ててしまうなら、何もいらなかった。


喪失感とも違う


未来が見えない、自身を全否定された

ような気がしてならない


しがらみからの解放

それを拭い去ったとき、これからの

新しい生活が生き方が見える

と言われる。


私には見えない


生きる


いったい  生きる って

どう言うこと





書き殴り  支離滅裂

でも私の今のこころ


読んでくださり ありがとうございました。