見えない行方
曲がりなりにも老後は安定した日々を
今は過ごしている
還暦を迎えた時に考えていた
老後の在り方は見えているようで
見えていなかった
年金と少々の預金があれば
それで過ごして行かれると
考えていた
動けるうちに行きたいと
思うところには 行く
食べたい物は 食べる
今もその考えに変わりなく
行きたいところには行き
食べたい物は食べ
欲しい物は買い (これは限りがある)
時には人に振る舞い
無造作に過ごしているが
年金だけでは当然 賄えない
投資など全く考えていないから
預金も増えない
当然 減る一方だ
経済的なことも向き合えば
心配ではあるけれど
それ以上にめげることがある
日常生活に支障が出て来たときに
どう対処すれば良いのだろうか
Gさんが入院した時
私が助けを求めたのは身内のみ
それも迷いに迷ってお願いした
友人達は大丈夫?と心配こそ
してくれたが手伝いは必要かと
本当の意味での手助けはなかった
その時 これから迎える
本格的な老後に向かう姿が
おぼろげながら見えたように思え
それは自分が築いてきた
人との付き合い方を思い知らされたと
はっきり自覚した事柄だった
自分が助けを求めなかったせいも
ある
お願い!困った!と頼み込めば 来てくれたかもしれない
だけどそこまでしてお願い
したくなかった
何とか 1人でしようと
頑張ったから
自分にはいざと言うとき
頼りにできる友人はいないのだ と
良く分かった
私が人に助けを求めないのは
プライドが高いのではない
その人の大事な時間を自分に
使うのがイヤなのだ
そして自分が頼まないくせに
やってくれる人がいない
なんて言うのは おかしい
今回は何とかやり過ごせたけれど
年齢が上がって来たら
自分の力で出来ないかもしれない
公的支援を受けるレベルまでいって
いない場合
高いと言われても民間に委託しなければならない
そう考えると
行きたいところに行き
食べたい物は食べ 欲しい物は買う
それはもうやめ時なのかもしれない
世の中 全てお金だよ
誰かが言っていた
でもその微々たるお金を私欲に紛れて
使ってしまった私の行方
1人暮らしになった時のことを
想像すると怖すぎる
今が幸せだから なおさら
これからの生き方を探った時
不安で押しつぶされそうになる
なるようにしかならない
そう 諦めれば何でも
受け入れられる
クヨクヨするのはやめよう
そう考えれば気が楽になる
だがそんなことで 気が楽になるなら
不安に感じたり
悩んだりしない
貴女の一生を
引き受ける
と言ってくれたGさん
最近は笑って
やり過ごしている
私を看取ってくれるって
言ったよね
黙っている
誰か 私の一生を見守って
それは自分だけが
信じている かみさま かも
宗教団体に入信している友人に
こんな話をしたら
喜んで飛んで来て
入信を勧められそうだから
黙っているけど
友人との会話の中で
私の口が滑っても
私は固い信念を持って
断るし 断れる
私の行方 どうなるのかな
毎日を精一杯 生きる
と誰か言っていた
そんな崇高な精神は持ち合わせて
いない
今日も明日も明後日も
欲にまみれて
息をしているだけだ ね
いつも同じところを行ったり来たり
お読みくださりありがとうございました