ぐちぐち なんでも言っちゃうよ〜

私のほんとうの気持ち

私は何?

私は面倒くさがり屋だなと思う。

最近、特にそう思う。

山や旅行に行くのが好きなのに、行くまでの準備が面倒くさい。


あれもこれもと気がついた物を持って行くと当然、荷物は増える。完璧とまでは言わないがかなり周到な準備をする。

そしてその行程を考えると大好きな山、旅行に行きたくなくなる。


でも自分のなかではいつまで行かれるかわからない、行かれる内にと次から次へと計画し、その計画に賛同して一緒に行ってくれるありがたい友人がいる。


今は面倒くさいと思いながらも、行動に移せる体力と気力がある。金力は?怪しいが、いつかは出かけられなくなるのだから、出かけられる内に使おう、死んで持って行かれないのだから、と預金を切り崩してまで出かけている。


問題は体力、気力、金力が乏しくなった時、どうするか?

年齢的にも出かけられない歳になったら、金力がないからなんて言っていられない。

体力がなかったら、何も出来ない。

健康が1番、大事になって来る。


今は良い、準備が面倒くさいと言いながら、まだやる気もあって出来るから。

そして出かけられるから。

これが難しくなって来たら、

何をして過ごすのか。


活字を読むのが面倒くさい、テレビは

音を大きくしなければ聞こえないから、

見たくない。

内容が理解できないのだ、聞こえないから。

細やかながらやっているボランティアは当然やめなくてはならない。

編物も本を見ながら自分なりにアレンジしているから、いちいち考えるのが面倒くさくなって来る。

そうなると、何?  何もない。


友人とのお喋り、出るのはお互いに

愚痴ばかり。それもイヤ。



90歳を過ぎたGさんのおばは偉いと思う。

1人暮らししている。

食事の支度もしている。


とても真似できない。


日がな一日、テレビを眺めて椅子に

座っているGさんのおばは

早くお迎えが来て欲しい、つまらないよ

と愚痴をこぼす。

それを見て聞いている私は、私にはとても1人暮らしは出来ないなと思う。


偉いよ、立派だよ、良くやっている。

とGさんのおばを心から誉めて、励まして(おこがましいが)いるが、本当のところ、辛いだろうなと思ったりする。


私はGさんのおばのようにも生きられない。


私は1人暮らしができるかどうかもわからない。

今はGさんとケンカしながらも仲良く暮らしているが、もし1人になったら

どうする?と不安になる。


私はかなり好奇心が旺盛だと思っていたが、それも失せて来て最近はあまり興味が持てなくなっている。

認知症への道をまっしぐらに進んでいるようにも思える。



今はまだ体力的にも気力も金力もあるから良いけれど、これがなくなった時、

どうすれば良いの。


何も興味が持てず、そして 面倒くさがり屋だとしたら。



時々、あー  もういやだ

この世に未練はない

そう思う事がある


何もない  何も興味が持てない



いつどうなっても良いように

ひたすら 片付けに精出さなければ

いけないのだが、捨てたくない。


片付ける算段を考えるのが、

またイマイチ面倒


私は何なんだろう


毎日の暮らしに変化を持たせて過ごしている人たちを尊敬する。

Xmas、お正月など一年のなかにある

様々な行事をつつがなく準備する、

その意欲に。


私は何もない   でも今は、出来るから

やるべき事はやるけれど


これが出来ない年齢、いややりたくない

年齢になった時、どうしよう。


不安  それしかない。









お読みくださりありがとうございました