旅行に来て、 良かったか?
昨年に引き続き旅行に来た。
暮れからお正月の行事を終えて、毎年、
この時期になると湯治と銘打ってお馴染みのホテルへ来る。
朝夕の食事を規則正しく頂き、昼間は温泉に入ったり編物したり、旅行も5泊ともなると雑事を忘れ気楽な暮らし、
それは一種の老人ホーム的な生活のようだと思ったりする。
観光名所を訪ねるなどの文化的なことももう何度も来ている地なので、なし。
繁華街を歩いて食い気を発揮し、Gさんは1杯、2杯とお酒を飲み歩く。
今日はお寿司屋さんに行き、カウンター越しに寿司を握って貰う。
値段の分からないお寿司屋さん、まあGさんが払うのだからと気にせず注文する。
愛想の良い寿司屋のご主人があれこれ勧める、Gさんはいたく気に入ってご機嫌だ。
お正月に大変な事が起き、それは誰の身に起きてもおかしくない現実を突きつけられた。
雪が降り、寒さを通り越した過酷な生活を強いられている北陸の方々のことを
頭の隅に置いて出かけてきた。
自分の身に起きたらどんなに辛く苦しい事かと想像し、惨事に遭われた方々に
心を寄せてはいても、自分はのんきに温泉なんかに入って、この和菓子屋さんの練り切り、美味しいなんて言っている。
結局、どんなに大変だ、気の毒だと
思っても他人事なんだね。
生きること、死ぬこと。
それを昨年からずっと考えて来たけれど、突然の災害に見舞われたら、そんな
事を考える余裕はない。
お正月だったために、帰省していて地震に遭い尊い命が失われた、その方々の
無念さ、苦しさ、悲しみ。
まさか自分の人生が終わるなどと想像も考えもしなかったと思う。
私の住む地域に災害が起きたらどうなるんだろう、
自分はそれを受け止めることが出来るのだろうか。
自分は災害ボランティアに参加した
こともない。
ただただ、見ているだけの非情な人間だ。
東日本大震災の時、山友の出身地が東北だと聞いた山の仲間が、東北の山に登り、旅館に泊まるなどして復興支援に協力をと何回かツアーを組んだ。
その時、参加することが支援に繋がると言われ参加したが、実際の手伝いをした訳ではない。
私は本当の辛さ、大変さを知らない。
そんな私が、なるようにしかならない
と、ふと思った。
あれこれ考え、思い悩んでも、その時に
ならないと分からず、そしてなるようにしかならない。
その考えに、ちょっと気が楽になって、
今は、少し気持ちが落ち着いている。
だけどこれから先の
私の人生、どうなって行くのか。
Gさんのいない暮らし、考えられないな。
全てのこと、そのすべてを受け入れられるのか?
なるようにしかならない
その諦めにも似た気持ち、考えを受け入れて行かなくてはならない。
やっぱり 辛い。
軟弱だって分かっている。
自分のなかでいつまでも納得できないことがら。
自分のことが分からなくなる(呆けてしまって)まで
ずっとずっと抱えて悩んで行くのだろうか。
スッキリサッパリした考え
それはきっと望めないかも知れない。
寿司屋さんの帰り、珈琲を飲んで宿に
帰ろうかと言うGさんの言葉に頷きながら、また珈琲を飲みながらボォッ〜と
取り留めないことを考えてしまった。
お読みくださりありがとうございました